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20年前セドナに行って人生が変わりました! <プロローグ>

2020年04月10日


こんにちは。クラブワールド関田です。

今では、スピリチュアルな人たちの間では有名になった、セドナ。しかし!20数年前は日本では全くの無名の場所でした。1999年の秋、初めてセドナに行きました。

1999年にはまだ、私は別の旅行会社で働いていました。いわゆる「格安」旅行の会社ですね。現在最大手となった、H〇〇となった会社の前身のM社で働いていました。毎日来る日も来る日も激安ツアー、格安航空券・・・・航空会社からは、1日に100席以上の座席をブロックしていて、その席を消化するために日々没頭していました。

1日100席のお客様の名前を入力、確認。そして、支店から来る空き状況確認の電話、電話、電話。合間にツアー企画との打ち合わせ。順番で回ってくる、クレーム処理のフリーダイヤルの当番などなど・・・・私の身体も精神も悲鳴を上げていました。おそらく。しかし、その頃は心と体と思考がバラバラに動いていたからか、そんな悲鳴になかなか思考が追い付いていませんでした。ついに、体が悲鳴を上げました。会社の駅に着くと、腹痛。かなりの激痛です。毎朝、駅のトイレに駆け込み、それから出社となりました。オフィスの入っているビルが閉まってしまう22:30くらいまで毎日働いて、家に着くのは12時前。そんな生活でした。もう、自分の生活は多少の変化はあるものの、この先ほぼこんな感じで進んでいくのかな、それでいいのかな・・・・と不安になりました。

そんなころ、ある上司が理解できないくらいに、私に攻撃をしかけてきました。無視、いやがらせ、いろいろな形でいわゆる「虐め」みたいな標的になってしまったのです。それで、私は「もう決めた!やめよう!」と決心しました。今となれば、彼女には感謝しなければ、と思います。その当時は、少し前まではとてもやさしく、いやむしろ仲良くしていたのに、急に態度が変わった上司。きっと彼女にも悩み、苦しみ、いらだちがあったことと今なら一歩引いて想像できます。でもあの時の私の引金に、火縄銃の縄に点火するには十分な刺激だったのです。速攻で、退職願いを出しました。かなり、まじめに、且つすごい仕事量だった私を部長たちは強く引き留めてくれました。しかし、私の決意は山のよに動くことはなかったのです。次の仕事の予定も何も全く決めていません。そんなことをしている時間なんてない生活でしたからね。

あー、毎日お腹が痛いのも開放される!夜中までの仕事、100席分の航空券が販売できなかった時のプレッシャー、いや、それよりも、予定していたよりも、席が確保できなかった時の苦しみ・・・・様々な私の心身を苦しめていたものからの解放だったのです。同僚や後輩たちが居酒屋で送別会をしてくれました。他部署の後輩も来てくれていたのを覚えています。ありがとう!2次会行きましょう!と言ってくれる後輩を振り切って、ごめん!明日からアメリカ行くから~~~とそそくさと帰りました。ちょっとちょっと~~関田さん、冷たいじゃ~~ん、と言ってくれた後輩たち。すまなかった・・・・。でも、翌日の朝、私はセドナに旅立つことになっていたのですから。

morning

 

そもそも、なぜ、セドナに行ったのか。これはがめっちゃくちゃすごい体験だったのです。後にも先にもあんなことは無い!いわゆる”導き”というものだったんだと思わざるを得ない。今、あの日の自分を思いかえすと、あの日のすべての行動が1分でも1秒でも変わっていたら今の自分はなかった、今のこの会社もなかったかと思うと、宇宙の采配というのは緻密で、細かい出来事一つ一つの全てが「今」を構成しているものだとわかります。今でもあの日の自分をまるでムービーのように脳裏に思い描くことができます。

「人生が変わる」なんて思ってはいませんでした。ただ、人生を変えたい!と強く願っていた私の目の前に現れたのです。

 

>>>続く

 

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